ここは、私、長谷川裕市が、毎月TOPページに連載している「今月のコラム」のバックナンバーを掲載しております。毎月自分の感じたことを書き綴っています。ゆっくりご覧下さい。

■今月のコラム・バックナンバー
Vol.49.2005/01/01 Vol.50.2005/02/01 Vol.51.2005/03/01 Vol.52.2005/04/01 Vol.53.2005/05/01 Vol.54.2005/06/01
Vol.55.2005/07/01 Vol.56.2005/08/01 Vol.57.2005/09/01 Vol.58.2005/10/01 Vol.59.2005/11/01 Vol.60.2005/12/01
Vol.61.2006/01/01 Vol.62.2006/02/01 Vol.63.2006/03/01 Vol.64.2006/04/01 Vol.65.2006/05/01 Vol.66.2006/06/01
Vol.67.2006/07/01 Vol.68.2006/08/01 Vol.69.2006/09/01 Vol.70.2006/10/01 Vol.71.2006/11/01 >Vol.72.2006/12/01

(更新日 2006/12/1) 

「時間がかかる」

 妻が10月31日手術をし、11月9日無事退院しました。皆様には、大変ご心配、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。まだ元通りとはしばらくいきませんが、パートさん一人に、短期のアルバイトの人、一人手伝いに来てもらって、おかげさまでどうにか、4人でやっています。
 今、個人のお客様からの注文のお歳暮や自家用みそ、並びに流通へのみその出荷をしております。私は、10月、11月の出張をすべてキャンセルして、久しぶりに山形にずっといました。12月は、12月1日〜6日まで紀ノ国屋青山店、8日〜11日まで紀ノ国屋渋谷店(東急本店地下)、14日〜19日まで明治屋広尾ストアー、26日〜31日まで明治屋玉川ストアー(玉川高島屋地下)で「手造り長谷川みそ」のPRをしております。
 みそは造るのに時間がかかり、売れていくのにも時間がかかる地味な商品です。こつこつ、こつこつ、まじめに仕事をするだけです。時間がかかると言えば、12月7日(木)午後10時からのNHK「プロフェッショナル」に出演するの木村秋則さんのりんご作りは、私の比ではありません。ぜひ皆様に、この番組を観てほしいと思います。最後になりますが、本年も大変お世話になり、ありがとうございました。


(更新日 2006/11/1) 

「妻の入院」

 10月31日午後2時28分、私は「食堂談話室」にいる。でも、ここは食堂ではない。病院にお見舞いにくる人と患者さんとの交流の場である。今、妻が手術室に入った。「スローライフ談話室」をいつもは、月末の夜か1日の午前中に書いているが、まわりの人の話し声の中で書いている。
 10月26日、東京に向け、お昼の山形新幹線に乗るため、山形駅の改札口を通ろうとした時、電話があり、タクシーで個人病院に行き、総合病院に移った。年齢的側面もある婦人科疾患である。2週間位かかると言われて、私のような小さな自営業では、仕事の半分を妻が担っているので、改めて、いろいろと考える事がある。子供は社会人と大学生2人で東京方面にいる。妻とは一日中いっしょにいる生活なので、いざ「一人」になると大変である。動物の世界で番(つがい)という言葉があるが、私と妻は生活でも仕事でも、まさしく、つがいである。
 4時15分、先生より手術の報告があり、「無事」おわってホッとした。4時25分、手術室を出てきた。4時35分、面会した。夢を見ていたそうだ。「大丈夫、うまくいったよ」と声をかけた。
 皆様には、2週間程多少ご不便をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます


(更新日 2006/10/1) 

「栽培方法のリレー」

<お知らせ>
NHKの「プロジェクトX」の後継番組の「プロフェッショナル」の撮影がりんご農家木村秋則さんの所で進行中です。放送日は、わかり次第お知らせします。(12月?)

  8月10日(木)青森・木村秋則さんと

 9月13日(水)北海道・佐藤剛裕さんと     9月12日(火)北海道・井伊秀一さんと


 8月10日(木)青森県弘前市(旧岩木町)に手造り長谷川みその原材料のお米で木村秋則さんの所に、9月12日(火)北海道石狩郡新篠津村に山形の地元の仕込味噌の大豆で井伊秀一さんの所に、9月13日(水)北海道上川郡剣淵町に製品みその大豆で佐藤剛裕さんの所に栽培確認に行きました。
 今年は、一つの区切りの年になりました。それは木村秋則さんとの出会いが、私のみそ造りに大きな影響を与え、やっとここまで来る事ができました。木村さんは岩木山麓で、農薬も肥料も使わないで、りんごを作っている農家です。私の「手造り長谷川みそ」の原材料のお米をずっと農薬不使用肥料不使用で作り続けてもらっています。木村さんと出会った当時は、私の頭の中は有機栽培でした。木村さんの考え方は、全く新しい考え方で、今、振り返ってみると私は本当に理解できていたのか自信がありません。でも、素直に追いついていきました。そして「手造り長谷川みそ」の原材料を作っている佐藤剛裕さん。最初に出会った時は、(旧表示)無農薬減化学肥料栽培でした。そして、無農薬無化学肥料栽培、JAS有機栽培、そして何年かの試作を続けて、今年やっと「手造り長谷川みそ」用の大豆が栽培期間中農薬不使用肥料不使用になる予定です。また、2008年秋冬に新発売予定の「手造り黒大豆みそ」の原材料の黒大豆(いわいくろ)も栽培期間中農薬不使用肥料不使用になる予定です。予定とは、まだ収穫しておりませんので。北海道の佐藤さんは青森の木村さんの指導を受けて努力してきました。木村さんはりんご畑に窒素を取り入れるため、大豆を植え、根粒菌を利用しています。大豆栽培にも詳しい方です。一つの区切りとは栽培期間中農薬不使用肥料不使用の考え方が木村さんから長谷川そして佐藤さんへとリレーする事ができた事です。


(更新日 2006/9/1) 

「手づくりみそ」


 手づくりみそは、自然任せの部分が大きい。私の住んでいる山形市は、40.8℃という日本一の最高気温を記録している所です。いつも暑い夏なのだが、今年の山形は、7月末までやませの様な風が吹いていて、冷夏のようであった。みその熟成に必要な温度はあったが、褐変作用(みそが茶褐色に色づく)に必要な温度が足りなくて、みその色づきが遅れている。8月になって、山形らしい盆地のむかっとしたあつい気温になって、みその色づきが進みはじめてきた。
 私はみそ造りの合い間に、「手造り長谷川みそ」のPRで紀ノ国屋さんと明治屋さんの売り場に立っている。お客様に良く声をかけられ、「長谷川さんには、いろんなみそを食べさせられている。」とおっしゃられ、またみそを買っていただいている。無添加・手造り・天然醸造のため、みその色づきや熟成度がいつも違っている。
 みその製造技術は、ほぼ開発が終っていると言われている。製造技術の開発には、研究部門と設備が必要である。大手のみそメーカーさんには、かなわない。いつも一定の品質(みその色・熟成)と美味しさ(味の均一)のみそを製造出荷するのは、みそメーカーの一つの大事な使命である。私のみその様に買うたびに色も味も微妙に違っていては、今の流通での販売においては、やはり、むずかしいものがある。だから、売り場に立って「いつも違いますよ。」と説明しなければならなくなる。みそは、発酵食品で生きものなので、日々変化している。技術も設備もない、手造りの私には、あるがままをそのまま出荷するしかない。
 さて、私はポータルサイトgooの環境のコンテンツの中の「食」のコーナーで「スローライフ談話室」を企画担当している。今回の第43話「食べ物が人生を変える」で、さかもと自然農園の阪本美苗さんが、大変貴重な話を書いている。そして第5話「大地に沿う暮らし」では、自分の手づくりの生き方を紹介している。ぜひ読んで欲しい。

参照:スローライフ談話室第43話「食べ物が人生を変える」


(更新日 2006/8/1) 

「ド根性桐の木 続編」


 皆さん! 皆さん! 皆さん!
 見て下さい! この写真。
(07.28. 鈴木氏撮影)
 これが「ド根性桐の木」です。
 今月のコラム 2006.07.01up (写真は私が携帯電話で写したものです。)
 7月は毎日雨やくもりで、しかも肌寒い日が続いていました。目の前に見えるのは、ブロックべいばかりでした。おそらく? 7月中頃にブロックべいの上に、桐の木の葉が見えだしたと思うのですが、まさか桐の木が生えてくるとは思っていませんでしたので、記憶が定かではないのです。7月31日毎年の様に個人のお客様の仕込味噌が終わり、夜、久しぶりに妻と食事にいってきました。おいしいビールを飲みました。この桐の木は、たぶん、また切られる事になると思われますが、来年またお会いし、お互いに精一杯生きるために、はげましあいたいと思います。


(更新日 2006/7/1) 

「ド根性桐の木」


 切っても、切っても、桐の木はある?
 私は、以前テレビで「ド根性ガエル」のマンガを観ていた。近頃、アスファルトを破って、大根が生えてきたとか言うド根性植物ばやりである。
 私の隣りの敷地にも、ド根性桐の木がある。ピンクの鉄筋の建物とブロック塀の60cmの間の桐の木に今年も新しい枝が生えてきた。毎年、切っても切っても生えてくる。例年なら、7月下旬から8月初旬に隣りでは切るのであるが、今年は早々に切られ、姿を見せなくなった(「写真-2」)。そして「写真-3」の状態になった。また来年も「写真-1」の様に生えてくるのであろう。植物の生命力はすばらしい。
 私は今、毎日みそ造りをしている。7月下旬まで休みがない。梅雨明けになると、疲労もピークに達し、毎日、「あと何日」とカウントダウンをしてしまう始末だ。カウントダウンしている最中にダウンしてしまいそうである。
 桐の葉を見ていると、気温が高くあついとしなってしまうが、雨の日の次の日の太陽の日差しでは生き生きしている。私は毎日、桐の木に向かって、「今日はお互いに大変だねえ。」とか「今日は気持ちがいいねえ、がんばろう」とか声をかけていた。私の心のひとつの支えであった。今年は早くに切られてしまい。声をかける場を失ってしまっている。でも、桐の木の生命力、必死さに清清しいものを感じる。

     写真-1                写真-2

    写真-3


(更新日 2006/6/1) 


「小規模」


 私は妻と二人でみそを造っている。今、製品みその他に4月から7月までの間、地元のお客様に代々の仕込味噌を造っている。朝5時に起床し、夜は8時すぎまで働いている。肉体労働でしかも仕事量が多い。5月15日より、近くに住んでいる女性のパートの人に手伝ってもらっている。小さいという事は、生産量・売上高も少ないという事である。「家族の生活が成り立てば」というのが目標である。自分の食いぶちを確保できれば良く、他の人の分までは要らない。今で言うワークシェアリングである。まだまだ大変な状況あるが、皆様のおかげで売上が少しずつではあるが伸びてきた。生産量が増えてくると、肉体労働の量も増え、更にからだがきびしくなってくる。私はお金が無いので該当しないが、一般的には売れ始めると機械化をして、もっと生産量を上げていく事を考えていく。しかし、機械化をしていくと、別の次元の競争が待っている。機械化した企業間の競争である。より大規模で性能のよい機械を持っている所が勝っていく。しかも、機械化する事によって、今までと味が変ってしまう。「肉体労働が大変だから、効率が悪いから、もうからないから」と言って、今まで、イノベーションをくりかえし、競争をくりかえし、大きい所だけ勝ち残っているのが現状である。この競争システムの価値観を変える時が来ているのではないかと思っている。自分が造っているものに誇りが持てる、自分の仕事に誇りが持てる「本物の時代」をめざしていきたい。

 

(更新日 2006/5/1) 

「スローフードフェア 2006」


 4月29日(土)30日(日)パシフィコ横浜展示ホールAにてスローフードフェア2006[テーマ:蘇れ! 日本の「大豆」](主催 スローフードジャパン・横浜スローフード協会)が開催された。横浜スローフード協会が2004年より初めて、第3回目が共催となった。パシフィコ横浜は、幕張メッセをひとまわり小さくした様なものだが、ここでこれだけのことをやれる横浜スローフード協会は、たいしたものだと思った。
 北は北海道から南は沖縄まで、多くの地方のスローフード協会の会員と横浜スローフード協会の会員とがいっしょに多くのブースを構成し、様々な「スローフード」を展示した。来場されたお客様は会場の各ブースで様々なたべものを試食して、「ちょっと、違うねぇ。うまいねぇ」と言ってくれた。また、大豆や味の箱舟・お茶のセミナーや多くの食育教室が開かれた。いざ、この様な事で大勢の人が集まって、行動してみると、やっぱり、運動というエネルギーが「スローフード」に生れてきたなぁと感じた。「たべもの」がテーマのスローフード運動は、生き物や自分そして家族の存続に関わる問題であり、もっと輪を大きくしていきたいと思った。

「食育教室」

会場にて


(更新日 2006/4/1) 

「日本のスローフード」


 食文化とは、時代の背景とともに変遷していく。江戸時代幕末から明治維新の近代化、第2次世界大戦以前と戦後の民主化、そして東西の壁の崩壊から続くグローバル化と、時代の変化とともに、大きく変ってきた。
 食品の流通・保存方法の大きな変化により、日本には世界中から、ありとあらゆるたべものが入ってきている。第2次世界大戦以前は、保存食としての干物や塩漬け等地方の特色ある食べ物があったが、今や季節性・地域性を失っている。スローフードそのものの存在の確認・意義を見い出すのが、困難になっている。一体、「日本のスローフード」とは何なんだろうか。昔から続く伝統食品としても、そのスローフードの食品が、今の時代に存在する意義とは何なのだろうか。私の事業所名は、長谷川の山形仕込味噌である。仕込味噌と名乗っているのは、一般的な醸造会社としての味噌製造業ではなく、手前みその庶民の手造りみそを継承しているので、この名前を付けている。でも、その仕込味噌の継承がむずかしくなっている。いろいろと考え込んでしまう事が多い。
 私の様な生産者・製造業者にも家族があり、生活があり、収入を自ら得ないと生きてはいけない。ならば、なおさらの事、生産者・製造業者が生きていけるスローフードとは、現実的にどういう物なのだろう? そしてそれが本当にスローフードと言えるのだろうか? スローフード運動はあっても、「スローフード」その物が存在しなければ、何の意味もない。「スローフード」を職業に選んだときそれはきびしい状況におかれる。覚悟ができているのだろうか。本気で努力しているだろうか。日本のスローフード運動が始動した今こそ、外国のスローフードではない「日本のスローフード」をもう一度考えてみなければいけない。

 

(更新日 2006/3/1) 

味の箱船「雪菜ツアー」


 去年の12月2日東京の丸ビルで イタリアのスローフード国際本部「味の箱船」(アルカ)で、日本でノミネートされた9品目のうち、山形県では米沢市の雪菜と長井市の花作大根が選ばれた。
 2006年2月4日より一泊二日で、山形スローフード協会は主都圏はじめ各地の会員と山形の会員40名で、味の箱船「雪菜ツアー」を行った。雪菜は米沢の冬の味覚として親しまれている。澄んだ辛みはごはんのおかずや酒のさかなにぴったしである。でも、雪が2m以上つもっている畑の中から、雪菜を収穫するのは大変な重労働である。(写真1)そして、その雪菜のふすべ漬講習会が近くの愛宕(あたご)多目的センターで行われた。(写真2)ふすべ漬の秘訣は湯通しの加減で、これ1つで辛みが出たり、出なかったりする。それを4日かけて塩づけにして食べる。
 スローフード運動の1つに消えゆく恐れのある伝統的な食材や料理を守るという項目がある。雪菜は米沢市上長井生産組合がやっているが、私は山形市に住んでいて、1月から2月にかけて地元のテレビのニュースや新聞で毎年恒例の様に「雪菜の収穫」の様子を見ていたが、初めて雪菜を見て、食べて、それが消え去ろうとしている事を知った。
 私は3月の今月のコラムで、「消え去ろうとしている食文化について」書きたいと思っている。


 写真1

 写真2


(更新日 2006/2/1) 

「赤い糸」


 手造り特特みそに使用している山口県下関市大字吉母浜(日本海)で造られているし自然海塩「最進の塩」(海水100%)の研究技術部長の安部司さんから、1月初旬、一冊の本が「私の思いを本にしました。」の一言が添えられて送られてきた。題名は「食品の裏側」(著者 安部司・東洋経済新報社 本体1400円+税)で食品添加物の実態が書かれていた。安部さんは食品添加物の元トップセールスマンで、食品製造の舞台裏をよく知っている人で、今は無添加の世界にいる。実におもしろい本であった。
 私は食の学校の代表をしている塩川先生[スローライフ談話室第12話「つくる人とつかう人の心の交わり」執筆]に安部さんの本を送った。1月24日夜塩川先生からFAXが届き、何とそこには「安部さんの本ありがとうございました。ご縁ですね。安部さんは食の学校のサポーターのひとりであり、実は安部さんをめっけてきたのは塩川です! 食の学校では何年も前からシリーズで彼の勉強会をやっています。実演が一番の人気です。ご縁があって嬉しいです。」と書いてあった。「無添加」というキーワードで私と安部さんが知りあい、そして塩川先生と安部さんが知り合いで三人がつながっている。私の妻が、このFAXを見て「赤い糸でつながっているみたい。」と言った。
 1月25日から1月29日まで出張で東京にいた。1月26日(木)何気なしに日刊ゲンダイ(新聞)を買った。そしたら、元トップセールスマンが明かす「食品添加物の現場」連載?で安部さんが出ていた。ニセモノ材料を固めて着色。回転寿司の数の子もどきイクラもどきであった。そして、ホテルに戻って日本経済新聞の夕刊を見ていたら、「この一品」というコーナーに何と蜜ろうそく(ハチ蜜の森キャンドル)が紹介されていた。[スローライフ談話室第28話 安藤竜二「蜜ロウソクは、ミツバチがもたらした自然の恵み」]
 安部さんは安部さんの世界で、塩川先生は塩川先生の世界で、安藤さんは安藤さんの世界で一生けんめい生きている。私はみそを通して「自然の味」を訴えていきたい。みんな、いろんな人たちが、世の中の事を思い、いずれ赤い糸でつながっていく。

情報スローライフ談話室第22話「本物の食べ物は本物の土づくり」の筆者・伊藤雅文さん(NPO法人 京都時給ネットワーク代表)からの情報です。

←クリックして下さい


(更新日 2006/1/1) 

「スロー」

 新年あけましておめでとうございます。 12月25日、山形県庄内町でJR羽越線特急いなほ14号の脱線・転覆事故が起き、死者が出た。山形県の日本海側で、冬はいつも地吹雪で大変なところである。車を運転していると、地吹雪で前が全く見えなくなる。「ぶつかってもいいや。お互様。」という位 の気持でゆっくり構えて、そろそろ運転する。そうでないと、「緊張で車が運転できなくなる。その庄内地方に私のみその原材料のお米を栽培している所が二ヵ所ある。特みその遊佐町と特特みその庄内町である。
 そうしたら、次の日の26日、セブン&アイ・ホールディングス(セブン・イレブン、イトーヨーカ堂グループ)がミレニアムリティリング(そごう、西武百貨店)を経営統合し、総売上4兆5千億円、世界有数の大流通 業が誕生するというニュースが流れた。 片や山形では自然風土の中で、取り残された風景があり、片や、世界をまきこんだグローバルの嵐が吹き荒れている。
 そんな中で、12月2日(金)夜、東京の丸ビルでスローフードジャパン(公式団体)の「味の箱船」の記者発表会と来場者(500名)との交流会があった。(1)古来からあった日本各地の在来の一次産品(農産物)や伝統的加工品を守ろう。(2)スローフードを作っている小さな生産者、製造業者を守ろう。(3)子どもの食育をしよう。という運動である。そして何よりも味の多様性を重要視している。 スローライフ談話室第一話「なぜ、今スローフードなのか」(ノンフィクション作家・島村菜津)参照。
 そして、「味の箱船」に関しては、スローフードジャパンの‘Ark’Japanの味の箱船参照(http://www.slowfoodjapan.net/ark/ark.html)。今回の味の箱船に選ばれたのは9品でそのうち山形スローフード協会より2品選ばれた。(別 掲載ページ参照・「味の箱船」の記者発表資料より抜粋) 流通の大編成で、よりビッグな流通 業が出現し、大量仕入れ・大量販売がより一層進んでいく。当然、製造業も、それに合わせてより大規模大量 生産になっていく。その一方で、スローなスローフード及びスローフード運動がある。


(更新日 2005/12/1) 

「誰のために」

 今日12月1日、今、山形でこの原稿を書いている。本当は11月29日〜12月2日まで農林水産環境展に出展していて、幕張メッセにいるはずだったが。実は、11月24日に東京に行き、25日〜27日に紀ノ国屋の等々力店でみそのPRを行ったが、25日26日かぜがひどくなってダウンしてしまった。今、せきをすると横腹が痛む。みそを造ったり、みそのPRに行ったりの連続で、またあしたから11日まで東京にいる。私は自営業なので、自分で何でもしなければならない。

 さて、11月11日〜13日まで明治屋の京都三條ストアーにみそのPRに行った。その夜、アメリカから帰って来たばかりであった料理研究家の小平さん(スローライフ談話室第21話)に会って、夕食を共にしながらたのしく話をした。小平さんには、みそ料理の創作レシピを依頼している。

 「料理は、誰のため?」私はこんな話をした。不特定多数の人、すなわちみんなにおいしい料理を作る必要のある人は、今、ここにいる様な飲食業の店の人である。しかし多くの一般 的な人は、自分のため、恋人のため、家族のためであろう。身近な人ほど、好みもわかるし、味付けの程度もわかるから。

 今、心の底から、全身からわき出る「食のおいしさへの感動」が忘れられている。それを感じるのは、ぜいたくな食からでも豪華な食からでもない。それに、一人一人生れた環境が違う。自分が「おいしい」と心から感じることが、本当のおいしさである。たべものの好みや味付けが違っているのがあたりまえだし、人に左右されるものでもない。自分が、恋人が、家族の人たちが「心から感動してくれるおいしさ」それが食であり、また料理でもある。もっと味について自分に素直にわがままであっていいと思う。徹底的に自己満足の本物のおいしさを追求しよう。

 


(更新日 2005/11/1) 

「青森・北海道」

10月1日(土)「手造り長谷川みそ」(旧商品名 無農薬みそ)のお米(栽培期間中農薬不使用肥料不使用 あきたこまち)を作ってくれている青森県の木村さんに8月に引き続き会った。木村さんのそばにいる事ができたので「無農薬」について、あたりまえの事であり、疑問を持つ事もなく、今まで何の躊躇もせず、まっすぐみそ造りをする事ができた。資金繰りの苦労は思い出すが、みその販売の苦労は思い出せない。本当は販売が大変だったから、資金繰りも大変だったのだが、不思議なものである。弘前に泊まり、木村さんの友人と三人で楽しく酒を飲んだ。

青森・木村さんと長谷川

10月2日(日)札幌に着く

10月3日(月) 札幌から電車で旭川ヘ行った。秋の収穫で忙しい時なので仕事の邪魔にならない様に夕方、大豆を作ってくれている佐藤さんに迎えに来てもらい、車で一時間上川郡剣淵町に行った。その足で宿泊先へ行き、佐藤さんと酒をのんで話をした。 10月4日(火) 朝食をすませ、大豆の栽培確認のため、佐藤さんとほ場を回った。今までの所は、去年の様な台風の被害もなく、まあまあである。実際には収穫してみないとわからない。佐藤さんのお父さんとお母さんに会った。三人の会話「忙しくて、忙しくて、でも、どうしていつも貧乏なのだろう。」毎年の会話である。しょっちゅう電話をかけているので、久しぶりに会った気がしない。佐藤さんに旭川まで送ってもらい、大豆農家の井伊さんの所へ電車で向かう。

北海道・佐藤さんと長谷川

 井伊さんに岩見沢駅まで迎えに来てもらい、石狩郡新絛津村へ、井伊さんの奥さんも、農家になじんだ感じがする。井伊さんの家に行ってお父さんとお母さんに会った。お母さんが「社長、うちの息子をよろしくたのみます。」と今年も言われた。お母さんの気持ちがひしひしと伝わってくる。夜、宿泊先で井伊さんと酒をのんだ。私は、今の営業の苦労話を具体的な例を出して話をした。物をつくるのも大変だが、売る事はもっと大変な事である事を知ってほしかった。

北海道・井伊さんと長谷川

10月5日(水) 朝、井伊さんとJA新しのつの伊藤部長と会って話をした。そのあと、山形へ帰路。

 リンゴを中心に米も作っている青森の木村さんは、農薬も肥料も使わないので「お金がかからない。」と言う。もちろん耕作面 積は小さい。

 北海道の佐藤さんは、畑作のみで、30町歩。機械と草取等の手作業のためのアルバイトの人件費で大変である。

 北海道の井伊さんの所は、現在12町歩で、畑、水田の両方をやっている。JAの指導で15町歩まで増やす予定である。昔、米を作っていたので7〜8町歩でよかったが、休耕田等により、花を作ったり、畑になったりして、田んぼと畑の両方の機械が必要になり大変だそうだ。

 


(更新日 2005/10/1) 

「ワン・フレーズ」

 今回の衆議院選挙で、小泉首相は「郵政民営化、賛成か、反対か」と言うワン・フレーズで圧勝してしまった。言葉とは恐ろしいものである。かく言う私も、悩んでいた。紀ノ国屋さんと明治屋さんの売り場に立って、みその試食販売をしている。4月末日までは「私が造った無農薬みそは、いかがですか」と言うワン・フレーズでお客様に声をかけていた。「無農薬」という言葉に、お客様は立ち止まったり、振り返ったりしてくれていた。ところが、5月から景品表示法で、味噌の公正表示規約が始動した。その結果 、無農薬の表示ができなくなった。農林水産省の農産物の新ガイドラインで「無農薬」が「栽培期間中農薬不使用」の表示になり、その関連で無農薬が書けなくなり、商品名を「手造り長谷川みそ」に変更した。それ以降、「私が造った手造りみそは、いかがですか」という声かけにかわった。ところが、お客様の反応が以前とは違い、とまどっていた。店内には、いろんな商品に「手づくり」・「手作り」・「手造り」の言葉が氾濫しており、インパクトが弱くなってしまった。どっかで、心に引っかかる様になった。でも、決まったことは、どうしようもない。無農薬という言葉は、大豆やお米が無農薬栽培であればよい。契約栽培している私には、栽培している農家の顔や苦労が浮かんでくるが、一般 的には、そういう材料を使えば、誰でも表示できた。ところが、みその「手造り」の規定は、「天然醸造で、かつ製造に当り、全量 伝統的手作業によるこうじ蓋方式により製麹されたこうじを使用したものに限り、表示できる」という事になった。私のみそは、まさしく「手造り」であり、この条件を満たす事は大変な事である。「無農薬」という表示に比べれば、はるかにむずかしい事である。

 今月17日18日19日紀ノ国屋青山店(インターナショナル)で、「手造り長谷川みそ」の試食販売をしていた。女性のお客様が立ち止まってくれて、「山形のみそなの? 私、鶴岡(藤沢周平やだだちゃ豆で有名な山形県の日本海側にある市)に工場を持っているの。」と話しかけてくれて、みそを買ってくれた。そして立ち去って、またすぐに私の所に戻ってきた。「そのフレーズ、いいね。手造りという言葉。手造りって大事なんだよね。」と言って、またその場を立ち去って行った。あとでわかったのだが、ファッション関係の方であった。初めて、「手造り」という言葉をほめてもらった。どっか、ふっ切れた感じがした。手造りって大事なんだ。自分の言葉に自信を持とう!


(更新日 2005/09/1) 

「紙一重」

 8月24日25日、青森県の木村さんと岩木町で会っていた。私の手造り長谷川みそ(旧商品名無農薬みそ)の原材料のお米(栽培期間中農薬不使用肥料不使用のあきたこまち)を作ってくれている農家である。7月2日(土)午前10時5分〜59分NHK総合テレビ「津軽の土に生きて〜青森県岩木川流域〜」という番組で、二人の農家の農業人生が紹介された。木村さんの無農薬りんご農家(栽培期間中農薬不使用肥料不使用)の半生が描かれていた。全国放送された7月2日(土)、私は明治屋の玉 川ストアーの売り場におり、山形に帰って、家のビデオで見た。

 この番組で「木村さんも最近、やっと生活が楽になった。」というナレーションがあった。でも、木村さんは「この栽培方法をして、私はどん底を味わった。この栽培方法で、私の様な苦労をさせたくない。」と同じ栽培方法を目指す全国の仲間に助言助力をおしまずつづけている。私も人並みに苦労も努力もしてきたつもりだった。しかし、木村さんと出会って、その人並みはずれた深さにいろんな事を教わった。紙一重の苦労や努力の差、これは途方もなく大きい。木村さんはこれから、自分のやってきた「信念」の総仕上げに入っていくという。私も「日本の豊かな食文化」を夢見て、努力を続けていく。

 木村さんと会うと、いつもとことん話をする。そして、二人でとことん話ができる「人生」がある。これも木村さんと出会えた「紙一重」のおかげである。

木村さん(左)と長谷川

 


(更新日 2005/08/1) 

「大事な仕事」

 7月30日(土)山形の一般家庭用の仕込味噌が終わった。7月31日(日)は一日中、何もしなかった。今日は8月1日(月)です。疲れはて、からだの限界に達している。「これを書こう!」と思って、去年(2004年8月1日)の今月のコラムを開いてみたら、書こうと思っていた内容が、まったく同じであった。「ああ、疲れた。」毎年同じ仕事をして、同じ状況に陥っている。疲労の限界までは、「ここまでがんばっているんだから、私のみそはうまいんだ」とか言う動機づけになっていくが、これを越えると、からだが言う事をきかなくなり、心がバラバラになってしまう。今日は、医者に行く。

 さて、私の手造り長谷川みそ(旧商品名 無農薬みそ)が、紀ノ国屋さんと明治屋さんで、私のラベルのデザインとは違った ラベルにて販売されている。私は時々、みそのPRで売り場に立っている。6月下旬、明治屋の広尾ストアーで売り場に立っていたら、年配の女性の方が立ち寄られ、「こんなおいしいみそを、毎日食べさせていただいて、ありがとうございます。」と両手を合わせて感謝された。私は大事な仕事をしている。

 


(更新日 2005/07/1) 

「ふるさと認証食品」

  私の「手造り長谷川みそ」で使っている「深層海塩ハマネ」が“東京都地域特産品認証食品”として東京都より認証された。

 伊豆大島で塩を造っているのであるが、伊豆大島の住所は東京都大島町である。東京で塩の産地? と思われるであろうが、伊豆大島は昔から塩の産地で、江戸時代は塩で年貢を納めていた。

 都内のスパーで、この“ふるさと認証食品”のマークがついている商品を20見つけた。一つは大阪府で“発見”なにわの食品、大阪府認証でEマーク付きである。さらに別 の四角いシールにみんながえらんだいいものシールがついている。(http://www.Iimono-pro.com)商品は泉州特産水ナスのつけものである。もう一つは、岩手県のみそで“ふるさと認証品”・岩手県認証でEマーク付きである。都や府や県の認証である。内向きの地産地消、そして外向きの地域間競争が、これからも激しくなっていく事であろう。47都道府県で“ふるさと認証食品”が出揃うと、買う方からすれば、どれを選んだら良いか、わからなくなってしまう。まさしく知恵比べである。


(更新日 2005/06/1) 

「ラベル表示の変更について」

  1. 商品名の変更 (1)特みそ→手造り特みそ (2)特特みそ→手造り特特みそ (3)無農薬みそ→手造り長谷川みそ。 まず、無農薬みそが変更になったのは、平成16年4月1日より農水省の農産物の新ガイドラインの表示で、「無農薬」が「栽培期間中農薬不使用」の表示になり、農薬不使用みそとの表示ができないので、私のみそを代表するという意味で「長谷川」を使用しました。 次に手造りを商品名の頭につけました。「手造り」に関しては下記のスローライフ談話室第31話「手造り」に私が書きましたのでご覧下さい。
  2. 「手造り特特みそ」は、現在品薄状態です。塩を伊豆大島「島の塩」から山口県下関吉母(よしぼ)の浜 [日本海]「最進の塩」に変更して醸造中です。手造り特特みそは引き続き、バージョンアップして「手造りオリジナルみそ」(平成18年 秋)に生まれ変ります。
  3. 今後もラベルの一部変更が続きます。市町村合併にともない、原材料の生産地名変更や塩の変更、商品名の変更等。パンフレットは、これから作成に入りますが、平成18年冬までは、変更が続きますので、簡易に作りますので、ご了承下さい。

自分のみそ造りをもう一度ふりかえりました。私が造りたいみそは、皆様に毎日「おいしい」と喜んでもらえるみそです。そして物づくりの原点「手造り」をこれからも大切にしていきたいと思います。


(更新日 2005/05/1) 

「年」

 このコラムを始めて、こんなに遅くなったのは初めてである。長期ゴールデンウィークを楽しんでいたわけでもなく、からだをこわしたわけでもない。毎日みそ造りという肉体労働をしていた。先月のコラムで商品のラベル変更の件で書きましたが、ラベルがまだ出来ず、進んでいません。ラベルが印刷されてから、ネットの写 真の差し換えを行いますので、しばらくお待ち願いたいと思います。

 私は今51歳です。50を越えてから、みそ造りという肉体労働がきついと感じるようになりました。年とともにからだの衰えがあると言葉の上では理解していたのですが、いざ、その年になってみると本当の事だと実感してしまう。コラムを書かなければと毎日思いながら、できなかった。

 この体力の衰えを支えているのが「気力」である。50歳台まで生きてくると、どこかで人生経験の積み重ねからくる「心の余裕」…悟り…がでてくる。どうにもならない時は、どうにもならない。しなければならない時は、やる。自分でも、今、何を書いているのかわからないが、「気力」を失った時に、私は「老人」と言う世界に入るのであろう。「気力」のあるうち、この「時」を大切にしていきたい。


(更新日 2005/04/1) 

「仲間」

 3月9日(水)東京の蒲田で、青森の木村秋則さん、北海道の佐藤剛裕さんと私の3人で酒飲みをした。木村さんは私の無農薬みその原材料のお米(無農薬無肥料栽培)、北海道の佐藤さんは大豆(無農薬無化学肥料栽培)を作ってくれている。

 木村さんが農薬不使用肥料不使用栽培(旧表記、無農薬無肥料栽培)の技術指導で出掛けていた韓国の光州から8日(火)に東京に戻ってきており、9日(水)私は山形から東京出張のため、佐藤さんは北海道から東京出張のため、東京合流となった。 木村さんが4月にまた韓国に行くとの事で、私は「スローライフ談話室」の原稿を依頼した。佐藤さんも3月中旬から下旬にヨーロッパに行っているとの事。佐藤さんは東南アジアへの農産物の輸出を再チャレンジするという。

 木村さんのリンゴ畑も田んぼも小さい。佐藤さんだって北海道の農家としては、小さい方であり、輸出して収入がどうのこうのというレベルには程遠い。商売にはならないと思うのだが、きっと「志」の問題なのであろう。私は大学生3人を抱え、みそ製造業の基礎と足元を固めるため。じっとしている。私もしなければならない事があるのだが……。

 3人とも経営規模が小さい。お金も大変である。でも、それぞれに「志」があり、私にはありがたい仲間である。

 木村秋則さん(左)長谷川(中)佐藤剛裕さん(右)


(更新日 2005/03/1) 

「損益分岐点」

 全国味噌工業協同組合連合会の会誌「全味弘報」2月15日号に味噌製造業損益分岐点分析(1)が掲載されている。これを見ると、みそ製造業は損益分岐点が高く、どうも大変な業種の様である。その中で売上高が多ければ多い程損益分岐点が低く、経営が安定し、売上高が少なければ少ないほど厳しい状況にあるとの事である。物を作って売ろうとすると、二つに別 れる。1つは、流通(店)もう1つは直販(個人)である。小さな小売店がつぶれ、小さな流通 がつぶれ、今や大手の流通時代になっている。はたや直販となると、人と人とのつながりがうすくなり、個人のお客様への商売も、インターネットだ通 販だと騒がれているが、昔に比べると非常にむずかしい時代である。大規模流通 の時代に大量生産できる大手は有利である。薄利多売とは言え、多売が大きくなればなる程。利益はさらに大きくなる。私は個人なので3月15日まで確定申告をしなければならない。会計事務所の先生から今回「10%コストを削減するか、10%販売価格を上げないといずれ、やっていけなくなりますよ。」と言われた。製造コストにおいては、大豆・米・塩等の原材料費の比率が高いとも言われた。私はいろんな試行錯誤をしているので、その無駄 も大きな要因になっている。でも私は自営業なので、生活をがまんしたり、つめたりする事ができる。生産量 が少ないという事は売上も少なく、利益(収入)も少ないという事だ。私は4代目であるが、昔から代々そうだったので、気にもしていない。生産量 が少ないという事は、売るという行為においては、どうにかなる範囲である。自分で楽しみながら、お客様に喜ばれながら、みそづくりをし、日本の豊かな食文化の復活を夢見て、今日もがんばっていきたい。


(更新日 2005/02/1) 

「限界」

 いゃぁ 寒い! 去年の12月は、温暖化で冬がもう来なくなったのかなぁと思う程、雪が少ない月だった。年を越して1月。1月なのに寒中の2月の様だ。雪は多いわ、とにかく寒い。

 1月、みそ造りをした。朝5時半には、麹の仕事とお釜に火を入れる所から始まる。みそ造りの合間に、敷地の雪はきを、1回ならいざ知らず、日には2度3度とやる。みその出荷もやる。夜8時頃、米を浸漬し、麹の床の切り換えしをしてやっと終る。妻は夜中の2時に麹を見に麹室に行く。これが毎日続く。妻と二人での仕事であるが、二人とも51歳。「こんな事、いつまで続くのかなぁ?」と50歳になってからの体力の衰えとともに嘆いている。

 でも、自分の仕事と思っているから無理がきく。体力・気力の限界への挑戦が手造りであり、自然と時間は、私たちを甘やかしてくれない。また2月もみそを造る


(更新日 2005/01/1) 

「新年にあたって」

 新年あけましておめでとうございます。旧年中は皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

 時代はいつも流れておりますが、ここ数年前から、社会にとっても、個人にとっても、“分水嶺”の始まりになっている様な気がしてならない。どの様に変化していくのかわからないが、時勢に流されて生きていくのは危険な気がする。自分・家族・地域……と小さな単位 から(自己防衛も含めて)、自分の考え・生き方でしっかりと生きていかなければならないと思う。

 長谷川の山形仕込味噌としては、時代の変化に流されて、無くならない様に、“原点”と“足元”をしっかり見すえて努力したいと思います。そして、皆様とのコミュニケーションをより一層深めさせていただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

 

 

 




〒990-0066 山形市印役町二丁目5番1号
TEL 023-622-4695/FAX023-622-3180