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仕込味噌

更新日:2003.07.01

 私は、今、昔から続いている地元の仕込味噌を造っている。仕込みとは、原材料を混合し、容器に入れる事である。 味噌で言えば、大豆を煮て、切って、米をふかして麹にして、塩と混ぜて、桶に入れるという事になる。 この段階では、発酵していないので、みそとは言えない。毎日、朝4時半に希少するが、ねむくてしかたない。 やっと5時に仕事場に入り、最初におかま個を洗って、水を張り、火を入れる仕事から始まる。 午後3時40分頃おわり、4時から6時半まで、市内の各家庭に配達し、夜の6時半から8時まで、次の日の仕込みの準備をしている。

 出張以外は毎日のこの連続となり、疲れ果てて、左手をやけどしてしまった。 米をふかす作業で、お釜の熱風でやってしまった。数年前も、お釜のお湯をバケツに入れ、何と、そのお湯に右手をつっこんでしまった。 全く必要のない作業である。疲れると、頭の脳の回路がおかしくなるのかもしれない。 手づくりとは長時間のきつい肉体労働である。

 この仕込み味噌が年々、生産量が減っていく。当方も、特みそ・特々みそ・無農薬みそ等の製品味噌が仕込味噌よりも多くなっている。 仕込味噌は手づくりみそであり、日本の食文化としても、みその文化としても大切なものだが、父や母の時に比べると生産量 が半分になってしまった。 たぶん、このままでいくと、5年後はさらに今の半分になっているだろう。 お客様が高齢化し、亡くなったり、家族の人数が減ったり、次の若い世代に引き継ぎができなかったり、また、1年分のみそを造って、 1年分のみその代金を払うのも一因だったりする。 製品味噌専門メーカーならいいが、私の様な代々の麹屋さん兼みそ屋さんをやっていく者が日本中で廃業をしていくと、 日本の手づくりみその文化も消えてしまう。 私は、長谷川の山形仕込味噌として、たとえ少量 になっても、仕込味噌の文化を守っていきたい。 この火を消したくない。

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