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満たされないおいしさ

更新日:2002.11.01

人間は、遺伝子のDNA・指紋・顔・声・姿・性格・好み等、1人1人自分の個性を持っている。おいしいという味覚もそうである。 甘いのが好きな人もいれば、塩っぱいのが好きな人もいる。味の濃いうすいもある。味覚に関しては複雑怪奇である。 そんな中で、多くの人が毎日のたべものに対して、何か満たされていない感じを持っている。なぜなのだろうか? 私の住んでいる地域は、スーパー乱立の地である。毎日安売りのちらしが新聞に入ってくる。小さい頃は、近所のお店で買物をしていたが廃業をしている。 私の家族の食事の食材もスーパーである。どこのスーパーに行っても、だいたいメーカー・商品名が似たりよったりである。 そうすると、同じ物なら安い方へと客は右往左往である。いざ、食事となると「満足感」が味わえない。 私は、粗末な食事であったが、昔の方が「おいしさ」という欲求を満たしてくれていた様な気がする。 1人1人の求めているおいしさが違うのに、商品数・味の数が少ないのではないだろうか。 特に食品が工業食品になってしまい、スーパーで並んでいる数少ない商品ですら、味が似たりよったりでは、 人それぞれの味覚の個性など満たされるものではない。 便利さと安さだけでは自分のおいしさと心の満足は得られない。

 話は変わりますが、私の所にお客様から問い合わせがくる。「どこでみそを売っているのですか?」 私は返事に窮する。山形のスーパーでは、どこも扱っていない。 実は、表示の欄で保存方法に「冷蔵庫保存」と書いてしまった。とうふや納豆や牛乳の様に冷蔵ケースに入れて販売してもらわなければならない。 みそは通常、常温で普通の棚においてあるので販売してもらえない。 「すみません。店には置いていないので、直接小売りをしています。ご住所は、お名前は...」となってしまう。

 お歳暮の季節にもなりました。
 皆様よろしくお願い申し上げます。

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