ホーム今月のコラム

今月のコラム

column

伊豆大島深層海塩「ハマネ」

更新日:2010.09.01

皆さん、おからだ大丈夫ですか。
 今年の夏は、日本全体が、連日大変暑い日が続いています。今日、9月1日も山形市の最高気温が34.4度となり、この暑さはまだ続きそうです。私のみそ造りは天然醸造なので、この暑さで、みその色づきも例年より進みましたが、まろやかでおいしい味噌になっています。
 さて、8月9日(月)・10日(火)、伊豆大島に行き、深層海塩「ハマネ」を造っている深層海塩株式会社を訪問しました。私の「手造り長谷川みそ」「手造り黒豆みそ」に使用している塩です。久しぶりに皆さんにお会いしました。
 塩の原料の海水は、普通は海から直接取水します。ところが、深層海塩「ハマネ」は、深層地下海水と言って、海岸から100メートル行った陸地から取水しています。伊豆大島の岩盤を深くボーリングして、その地下から汲み上げている大変めずらしい海水で、きれいな海水です。

伊豆大島海岸:天気が良いと富士山が見えるそうです。(左:三間工場長 右:私)

伊豆大島海岸:天気が良いと富士山が見えるそうです。(左:三間工場長 右:私)

工場入口(左:弟さん 中央:私 右:工場長(お兄さん))

工場入口(左:弟さん 中央:私 右:工場長(お兄さん))

100メートル入ったこの地点から、深層地下海水を汲み上げています。

100メートル入ったこの地点から、深層地下海水を汲み上げています。

私は、三間工場長(長男さん)から塩造りの現状をお聞きしました。塩は、海水の水分をとばしたり、煮つめたりして濃縮して、結晶させて造ります。当然、高い室温と湿度の中での作業となり、夏は、特にきついそうです。夜は、三間社長とビールを飲みながら、いろいろと話をさせていただきました。
 深層海塩株式会社は家族経営で、塩造りは、息子さん二人でやっています。塩の検品、出荷は、パートさんを含む女性陣が担当しています。心を込めて本物の塩を造っており、私には大事な塩です。

[参照]

大変です

更新日:2010.08.01

今日は7月31日(土)、久しぶりに山形から東京への新幹線の中でこの原稿を書いています。4月から7月まで、前半戦のみそ造りをしていました。特に7月は、毎日暑い日が続き、きびしい肉体労働となりました。製品味噌と地元家庭用の仕込味噌造りに、休みもなく働いていました。
 仕込味噌を各家庭に配達するため、山形市内及び近郊を車を運転していると、小さい頃から風景として見ていた小さな商店がさびしく店を閉めている。
 山形では、全国展開している店と地元山形の店が、年中チラシを新聞に折込み、テレビCMをも流してしのぎを削りあっている。そこから生まれる流通の変化は、製造業にも影響を与えている。
 私のような小さな製造業者も、あの小さな小売店が辿っていった道を歩んでいるように思える。正念場の時が来ているのかもしれません。8月下旬から後半戦のみそ造りが始まり、また身動きのとれない時期になりますが、常に気が抜けません。

ねむい

更新日:2010.07.01

6月29日日午後11時から、サッカーワールドカップ・日本バーサスパラグアイ戦を30日へまたいでのPK戦まで、テレビ観戦してしまった。
 みそ造りは、朝早くから、夜遅くまでの肉体労働で、麹の仕掛りが4日間かかるので、土・日を含めて無休状態になる。いつもならば寝ている時間であるが、ついつい観てしまった。試合が終わってすぐ寝ようとしたが、興奮していたのか、時計が3時を指しているのを覚えている。4時40分に目覚し時計の音で起床し、仕事に入った。
 30日は、ねむくて、つらかった。みそ造りの前半戦は7月末まで、日々、エンドレスで続く。

年です

更新日:2010.06.01

2008年のリーマンショックで、ご多分にもれず、私も影響を受け、2009年、2010年とみその仕込み量を減らしました。来年から仕込み量を少しずつ戻して、増やしていこうと思っていました。
 ところが、からだが言う事を聞かないのです。「ヨッシャー、頑張るぞ!」という気力が湧いてこないのです。私も妻も「どうしよう?」と、困惑しています。妻は5月で57歳、私は56歳です。朝早くからのきびしい肉体労働は、こたえます。
 去年の8月、東京方面にいる長男夫婦に男の子が産まれました。新しい世代の誕生です。私達は、おじいちゃん、おばあちゃんになりました。このことも、気力が湧いてこない要因のひとつかもしれません。
 年を重ねる事で、いろんな物事の見方・考え方が変ります。年を経る度に衰える肉体も精神もあります。私は妻と「からだに気をつけて、おいしい味噌を次の代に継なぐまで、これからもがんばろうね」と話し合っています。

自然と向き合う

更新日:2010.05.01

私の住んでる山形は、夏は暑いし、冬は寒い、寒暖の差のはっきりしている盆地です。私のみそ造りは天然醸造なので気温に左右されます。寒い冬には、みその発酵がうまくいきません。
 それで、11月から3月まで、東京でみそのPRをしています。4月初めにいつもならばみそ造りを始めているのだが、今年は寒く、中頃まで気温が上がるのを待っていました。もう大丈夫だろうと思って、大豆を煮るためにお釜に火を入れた朝、何と雪が降ってきました。自然と向き合って仕事をしていると、思う様な予定通りに仕事は進まないものです。
 さて、木村秋則さんが4月に本を出しています。『あなたの人生に「奇跡のリンゴ」をつくる本』という題名です。『奇跡のリンゴ』の著者の石川拓治さんが聞き書きをしています。
 木村さんの自然栽培の魅力が、多くの写真からも感じられ、自然と真摯に向き合う木村さんがわかってきます。後には「自分でつくった安心野菜を食べよう」ということで、木村式「自然栽培」をプランターでと、解りやすい図入りで書かれています。それに、DVDが付いていて、木村さんと映像でも出会えます。
 自然と向き合ってみそ造りをしている私にとって、この本は、大事な一冊です。

日本一の“みそ”

更新日:2010.04.01

 平成12年3月発売した『無農薬みそ』、今は商品名が『手造り長谷川みそ』に変っていますが、満10年を迎えることが出来ました。皆様には、10年の長い間大変お世話になり、誠にありがとうございました。
 コラムの表題の話になりますが、無農薬の大豆やお米で『無農薬みそ』を造りたいと思っていた頃、大豆は北海道のあい菜農園の佐藤剛裕さんと出会いましたが、私のみそ造りに合ったお米が見つかりませんでした。平成10年、秋から冬へと季節がうつろうとしていた頃、ある方のご紹介で、青森県弘前市で、木村秋則さんにお会いしました。会った瞬間から意気投合して(いま考えてみると、木村さんの魅力に取り込まれてしまったのかもしれない)、お互いいろいろと話をしました。
 木村さんはりんごやお米を無農薬無肥料で栽培していました。私の頭には、無農薬や有機しかなく、初めて聞く木村さんの無農薬無肥料の話に、無我夢中になりました。
 その後、平成11年1月8日、木村さんの栽培したお米のサンプルを頂き、お手紙が添えられてありました。その中には、木村さんのお米の話があり、最後の方に「ぜひ長谷川様も日本一の“みそ”を造られて下さい。私も売上げetc.頭に全くありません。協力約束致します。」と、書かれていました。それ以来、ずっといろいろと指導を受け、教わり、木村さんのりんごのお客様をご紹介頂きました。そして、米代の支払いも含めて、今もまだ変らずお世話になっています。
 木村さんにいただいた「日本一の“みそ”を造って下さい」との言葉を、私の木村さんへの約束として、大豆・お米は農薬不使用・肥料不使用、塩は深層海塩100%、そして、無添加・手造り・天然醸造で自然のおいしさを求めて造り続けています。
 木村さんの言う「日本一の“みそ”」とは、木村さんの「考え方や、思いや、生き方」を込めた味噌だと思います。私はこれからも真剣にまじめに、こつこつ努力を積み上げていきます。
 これまで多くの方々に大変お世話になりました。ありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。

未来の食卓

更新日:2010.03.01

今は、不景気です。新聞に「食の安全・安心よりも少しでも安いものが求められている」と書かれていました。そんな中で、スローフード山形の運動の一環として、2月20日~26日までフランスのドキュメンタリー映画『未来の食卓』の上映会をしました。
 ヨーロッパでは、癌や糖尿病などの生活習慣病の70%が食生活を含む環境に原因があり、地球温暖化、環境破壊にも農業のあり方と食生活が密接に関係していると述べられていました。また、農業者が、農薬等でからだが蝕まれていくのが描かれていました。そして、妻や子どもも。
 さらに、南フランス・バルジャック村のショーレ村長が、子どもたちの未来を守るため「学校給食、高齢者の宅配給食をオーガニックにする」という挑戦を描いた映画です。内容が深くて、短い文章では表現出来ません。この映画を観る機会がありましたら、ぜひ観てほしいと思います。

北海道の佐藤さんの事、青森の木村さんの事。小平さん黒豆レシピの事

更新日:2010.02.01

みそのPRの為、また、東京に戻った。冬場は、東京に行ったり、山形に戻ったりの日々である。1月20日(水)大豆でお世話になっている北海道の佐藤さんが、農産物の営業中で、四国から東京にはいるとの事で、八重洲で待ち合わせをして、近況報告を兼ねて、酒飲みをした。こんなご時世なので、いろいろとお互いに話し込んでしまった。
21日(木)午前中、紀ノ国屋さんの日本食担当の中村バイヤーを二人で訪問した。佐藤さんは、紀ノ国屋の契約栽培農家である。私のみそに使っている大豆の栽培方法の話や、お米でお世話になっている青森の木村秋則さんからの栽培方法の指導の話やら、私が紀ノ国屋さんと取り引きが始まるきっかけとなったのは、私が大豆の栽培確認に北海道の佐藤さんの所に行った時、紀ノ国屋さんも栽培確認にいらしていて、いっしょになったのが始まりであった事。いろいろな話が弾んだ。
午後より、都内のデパートやスーパーを二人で回り、市場調査をした。夜になり、池袋でまた酒飲みになった。佐藤さんは酒が強い。
22日(金)。午後8時より、テレビ東京で、世界を変える100人の日本人「世界の衝撃 美食SP 奇跡“無農薬りんご” ウマすぎる和食の秘密・洋菓子女王」が放送された。番組の中で、木村さんに「なぜ、こんな大変な事をしようとしたのですか」という質問に「私は、バカだから」と。そして、「木村さんのりんごは、どうしてこんなにうまいのですか」に、「私もわからないんです」と答えていた。  私にとって重い話である。私は、木村さんのうしろ姿を見つめながら、これからも精一杯生きていきたいと思っています。

1月28日(木)、私の友人の鈴木さんに、黒豆みそのレシピの取材と撮影に、京都に行ってもらった。小平さんの料理のレッスン場で、Web用の動画と、印刷物に使うスチール撮りをしてもらった。編集が終わり次第、アップしてもらいます。おたのしみに。

自然のおいしさをもとめて

更新日:2010.01.01

新年あけましておめでとうございます
旧年中は、大変お世話になり、ありがとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます

 私は毎年12月は紀ノ国屋・明治屋の売り場に立って、みそのPRをしています。そのために、12月3日、山形から東京へ行きました。ホテルで夕刊を見ていたら、山形では放送されていないテレビ東京で、午後9時からルビコンの決断“奇跡の無農薬りんご誕生”畑が全滅・家族7人絶望の無収入生活…と書かれていました。その放送を見ました。お米でお世話になっている青森の木村秋則さんの話でした。木村さんからはいろいろと話を聞いていましたが、信念を貫く厳しさと強さ、そして長い時間が必要なのを改めて知らされました。
 私の主力商品の「手造り長谷川みそ」は今年の3月で満10年を迎えます。大豆は北海道の佐藤剛裕さん、お米は青森の木村秋則さん、塩は伊豆大島の三間房一さんと一緒にはじめて11年の歳月が過ぎました。
 今年も大変厳しい一年になると思いますが、木村さんの背中を見ながら、あと10年、20年と命ある限り、自然のおいしさをもとめて、がんばっていきたいと思います

NHK「ようこそ先輩」木村秋則さん出演

更新日:2009.12.01

11月1日(日)NHKの番組「ようこそ先輩」に、原材料のお米でお世話になっている木村さんが、母校青森県立弘前実業高等学校商業科1年2組で「夢を信じる力を育てよう」というテーマで授業をしました。
 7月下旬に学校の教室で、8月から9月にかけては木村さんのりんご畑で4回行われました。農作業を通して、また、木村さんのりんご人生の苦労話を通して、生徒の皆さんは様々なことを学んだようでした。
 高校1年生と言えば、私自身のことをふり返っても、自分の将来や夢がぼんやりして、はっきりしていない年頃です。木村さんの授業を通して、自分の夢が少しづつはっきりとしていき、そこに向かって努力しようと歩みだす高校生の姿がありました。
 木村さんは、「自分を信じる事こそ夢への第一歩になる」と考え、「夢に向かってみんなで考えよう」とりんご畑の授業を行いました。「自分を信じて馬鹿になって立ち向かって欲しい。こうしようと思ったら、簡単に夢を捨てないで欲しい」「夢に向かっていくのは自分なんで、他人ではない。夢を信じる力を、自分を信じる力を育てて欲しい」と話しかけていました。
 高校生の時代には、夢を信じる力、自分を信じる力を育てる時期でしょうが、55歳の私にとっては、夢を信じ続ける力、自分を信じ続ける力を持つ事が大事だと思っています。
 お客様に、よく「この味噌、本当においしいね。ずっと造り続けて下さいね」とことばをかけてもらえます。私の夢は、「お客様に必要とされる人間であり続けたい」という事です。

PageTop