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今月のコラム

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第2回 語らいステージ

更新日:2003.03.01

平成13年11月28日~30日の3日間、主催者企画で幕張メッセで行なった第2回農林水産環境展(後援 農林水産省・環境省)での語らいステージの第2回を 山形市コープ桜田3階で、2月23日(日)午後1時より4時10分まで行なった。無農薬大豆を作っている北海道の佐藤さん、無農薬米を作っている青森の木村さん、 山形県遊佐町の真嶋さん、私の女性の友人である安全な食と環境を考えるネットワークの伊庭さん(東京都)、 B・Dアグリ研究所の松井さん(京都府)の5名が自腹で山形にやってきてくれた。 山形県内はもちろんの事、宮城県からも来てくれて、来場者は100名位で、ほぼ満席であった。
今回の最大の目玉は、上記出演者5名と会場の皆さんとの本音の語らいであった。 会場には、新聞社5社とテレビ局1社のカメラも入って、山形にしては緊迫した熱気のある語らいであった。 テーマは「無農薬の世界」~本音で語ろう!食の安全・心の安心~であった。 農産物の食の安全に対する疑問・不信の中で、食の安全・安心だけが叫ばれている。でも、まてよ! 「農産物が安全であれば安心」だけではいいのだろうか? 消費者の希望は[1]安い[2]安全[3]おいしい と一般に言われているが、「安くて安全な農産物を食べれれば、それで安心と言えれるのだろうか。」 という問いかけをした。
200303

 伊庭さんが、アメリカの大規模農業の実態を写した大きな写真を多数掲示しながら、大規模農業へと進んだため、 アメリカの農村社会が崩壊した過程を話してくれた。 学校が消え、教会が消え、最後に残ったハイウェイにあるガソリンスタンドも消え、そして、その農村が消えたと。 アメリカでは、何百haの小農では存続できず、最低で1500ha以上の耕地面積がないとやっていけないそうだ。 カリフォルニアの平均稲作農家で約2000haである。大規模農業のアメリカ、そして比べ様もない小さな日本農業。 有機農作物にしても、大豆は100ha、トウモロコシは300ha。

 伊庭さんが、アメリカを例にして、外国の農業の実態を通して日本の農業を守ろうと話をしている時、会場の老婦人の発言があった。 「私はアメリカの話を聞きに来たのではない。安全で安心な野菜がどこで売っているのか教えてほしい」と。 この会場に来てくれた人は、意識の高い人たちである。 でも、外国から、認証を受けた本物の安い外国の有機農産物が日本に入ってきたら、この老婦人はどうするのだろうか。

 ~浦賀に、また黒船がやってこようとしている~

 日本の農業は、日本の農村は、日本の田園風景は、
 日本の食料の自給は......。

 やっぱり言いたい!
 食の安全・安心を叫ぶのか、それとも、食の安全・心の安心なのか。

語らいステージ

更新日:2003.02.01

農薬・化学肥料・遺伝子組み換え問題に、新たにBSE問題(狂牛病)。偽装問題・無登録農薬問題・残留農薬問題が加わり、農産物の信頼がゆらいでいる。

 2月23日(日)第2回語らいステージ「無農薬の世界」~本音で語ろう!「食の安全・心の安心」~を行ないます。
 私は、今月のコラムやDeWA-Webのメールマガジン(しこみどっとメルマガ)にいろんな事を書いてきました。 100%本音を語るというのは、正直きびしいものがあります。 でも、21世紀に入り、本音で話をしないとどうにもならない状況に、時代が追いこまれている様な気がします。

 私がいつも言っている「本物の時代」には、やはり「本音の世界」が必要なのかもしれません。 今回、私のみその契約栽培農家3名(今月のコラムのバックナンバー参照)と友人の伊庭(いば)さん・松井さんも加わり、本音で話を切り込もうとしています。 今回の話のキー・ワードは「食の安全・心の安心」です。 いままで、「食の安全・安心」という表現を一般 的にしていましたが、語らいステージの打ち合わせのため、1月10日(金)新宿にて、夜4時間程 伊庭さんと話をしていた時、伊庭さんが「長谷川さん、よく<食の安全・安心>と言うけど、<たべものが安全だと安心だ>と言うだけではおかしいんじゃないの! たべものが安全だけでは、心の安心はえられないわよ。」と言った。

 ぜひ、語らいステージに来て、今、生きている21世紀そして未来の子孫のために、みんなで、今こそ本音で語り合いませんか!

第2回 語らいステージ

「無農薬の世界」
-本音で語ろう!「食の安全・心の安心」-
と き 2月23日(日) 午後1時開会~午後3時半閉会
ところ 生協共立社 コープ桜田3階
山形市桜田東4-9-15 TEL (023) 633-2275

[プログラム]
あいさつ 司会・実行委員会代表 長谷川裕市(山形市)

講演  「無農薬・無肥料 木村秋則の世界」-りんごの話-
講師  無農薬栽培農家 木村秋則(青森県)
「大規模農業の光と影」
講師      安全な食と環境を考えるネットワーク   伊庭みか子(東京都)

語らいステージ「食の安全・心の安心と日本の農業について」   

出演者
無農薬契約栽培農家<大豆>        佐藤剛裕(北海道)
無農薬契約栽培農家<米>           木村秋則(青森県)
無農薬契約栽培農家<米>           真嶋 一(山形県遊佐町)
安全な食と環境を考えるネットワーク   伊庭みか子(東京都)
B.Dアグリ研究所研究員               松井 環(京都府)

質疑応答                             
私達は平成13年11月28日~30日の三日間、幕張メッセでEFAFF2001 第2回農林水産環境展(後援 農林水産省、環境省)において 主催者企画で「語らいステージ」を行いました。このたび、第2回を山形で開催することにしました。私のみその無農薬契約栽培農家3名と、 女性の友人2名で、語らいステージを行います。私たちといっしょに本音で語り合いませんか!「食の安全・心の安心」を。

主催:語らいステージ実行委員会(出演者6名で構成)
お問い合わせ:(代表)長谷川裕市 [長谷川の山形仕込味噌]
山形市印役町2-5-1 TEL (023) 622-4695 FAX (023) 622-3180
http://www.shikomi.com/

原点

更新日:2003.01.01

200301新年あけましておめでとうございます。  本年もよろしくお願い申し上げます。

生産者サイドは、金もうけから入る物づくり。消費者サイドでは、便利・簡単・他人任せ。そんな中で、ここまで食の混迷と不信が募ってきた。 私たちは「原点」に帰る必要がでてきたようだ。建前の理想など掲げてもどうしようもない。 現実をみつめ、現実の中から少しでも良い方向へと時代を導いていかなければいけない。生産者として、消費者として。 そしてもっとも忘れられているのは、人間社会が共同社会として担う責任の問題である。

 私たちは、この冬、いろんな話をしようと集まる予定でいた。北海道か青森で。私のみその無農薬大豆を作っている佐藤さんから、 「長谷川さん、何かやろうよ!」と言ってきた。時間の制約もあり、山形でやる事になった。 農業と食の安全を考える語らいステージをする事になった。 2001年11月、幕張メッセで農林水産環境展の特設ステージで私たちが行なった語らいステージの第2弾である。 (ホームページ2001年11月、12月参照)

語らいステージ「無農薬の世界」
主催:語らい実行委員会(代表・長谷川裕市)
日時:平成15年2月23日(日) 午後1時~3時30分
場所:生協共立社コープ桜田3階(入場無料)

 BSE問題、偽装問題、無登録農薬問題と次から次へとふきだす食の不信。この様な中で、「本当に無農薬栽培は可能なのか」 「大規模農業へと移行する事が、本当に日本農業の未来になるのか」「消費者として、食の安全、日本の食をどう考えたらいいのか」 個人個人が自分の意見を述べあう。
 出演者は、私のみその契約栽培農家の皆さんで、無農薬大豆を作っている北海道の佐藤さん、無農薬米を作っている青森の木村さん、 山形県遊佐町の真嶋さん、私の友人である東京の伊庭さん、京都の松井さんの女性二人も加わり、私が司会となって行う。 主催者は、出演者である私たち6人である。

●第1部 無農薬の世界
 [講演]「無農薬無肥料、木村秋則の世界」
 ~無農薬のりんごの話(青森県 木村秋則)
 --------------------
 無農薬米について(山形県遊佐町 真嶋 一)
 無農薬大豆について(北海道 佐藤剛裕)

●第2部 食の安全と農業について
[講演]「大規模農業の光と影」(東京都 伊庭みか子)
 --------------------
 食の安全について(京都府 松井 環)
 農業について(出演者全員)

詳細については、2月のコラムで書きます。ぜひ、おいで下さい。

本物の時代 ~心からの感動~

更新日:2002.12.01

11月19日(火)
 山形県学校生活協同組合の商品委員会の学校の先生14名と東京から学教支部の2名様、学校生協の佐藤常務・平沢部長・山本さんの計19名が、 私の家にみそ造りの見学に来られた。 平沢部長が案内に「みそ工場見学」と書かれたそうであるが、私の所は工場ではない。作業場である。大人19名が入ってくるとさすがに本当に狭い。 手造り手作業の世界に、工場はふさわしくない。みそ造りの説明がおわった後、19名様が入れる室がないので、 となりの荘内銀行鈴川支店の会議室をお借りして、いろいろと話をさせてもらった。

11月24日(日)
 早朝6時、仙台から仲間といっしょに小型バスで茨城県鹿島市に向かった。司友山一道寺落慶法要に行った。 このお寺は、熈林一道(きりんいちどう)ポール・牧さんのお寺である。 この式でのポール・牧さんの真剣なまなざしに喜劇役者ポール・牧さんの生き方を垣間見たような気がする。 芸能人も多数見えられ、芸能レポーター梨本 勝さんもおられ、名刺交換をさせてもらった。梨本さんは、大学(法政)の先輩でもあられる。
 仲間の皆さんは仙台に帰られ、私は農林水産環境展出展のため東京に向かった。

11月26日(火)~29日(金)
 去年に引き続いて、幕張メッセで開催される農林水産環境展[EFAFF2002]に出展した。 28日夜、東京で商談のため上京中の私のみその無農薬大豆を造ってくれている北海道の佐藤さんと、仲間の砂田さんが幕張にやってきて、 同じホテルに泊まり、翌日EFAFF2002を見ていった。
 さて、みその商売となるとこの出展は大赤字の世界であるが、今年もすばらしい人たちとの出会いがあった。

 山形にも名の知られた会社の社長さんと奥様が、私の家にいつもの様にみそを買いに来られた。私は社長さんにお歳暮について聞いてみた。 そうすると「コーヒーとか油とかのりとか決まりきった物をいろいろともらうが、お歳暮をもらって喜んでいる人はいない。ギフト券の方がまだましだ。」と。 形の世界なのだと思う。いくらの金額か相手にわかる物を贈っている。これは5千円だと。そうすると相手の方も5千円の物を贈る。 贈られた物に喜びも満足もない。それだったらギフト券の方がまだましだという話になってしまう。 お互いにギフト券を交換するくらいなら、お歳暮はやめた方がいい。

 私は、お中元にさくらんぼを贈っている。山形はさくらんぼが名産である。毎年契約したさくらんぼ農家にたのんでいる。 一番おいしい時期に一番おいしいさくらんぼを贈りたいので、その瞬間を教えてもらっている。「長谷川さん、そろそろですよ。」と連絡がきて取りにいく。 毎年まとまった数をたのんでいるので、農家の方も必死である。おいしいもぎたてのさくらんぼをその日のうちに宅急便で送っている。 山形はさくらんぼが名産である。名産の名にふさわしい物を私は贈っている。

 今の時代は、見ためや金額ではない。贈られた物が、どれだけ相手様の心をゆさぶるかである。 うまい!めずらしい!こんなの食べたことない!あぁ、毎年楽しみだぁ! 贈ってくるのを相手様がまっている様だと最高である。 本物の時代、国産減農薬・無農薬/みそ醸造元 長谷川の山形仕込味噌のみそもその仲間に入れる様に必死に努力していきたい。

 私は今年も必死に生きてきた。仕事もまだまだ軌道にのっていないが、少しずつであるが、私のみそも知られる様になってきた。 無農薬や減農薬の原材料だけでみそを造っているのは、日本にはたぶん私しかいないと思う。 理想をかかげても、商売になると非常に厳しい物がある。この私を支えていただいている皆様に心から感謝を申し上げ、今年のコラムをおわりたい。

 「本当にありがとうございました」

満たされないおいしさ

更新日:2002.11.01

人間は、遺伝子のDNA・指紋・顔・声・姿・性格・好み等、1人1人自分の個性を持っている。おいしいという味覚もそうである。 甘いのが好きな人もいれば、塩っぱいのが好きな人もいる。味の濃いうすいもある。味覚に関しては複雑怪奇である。 そんな中で、多くの人が毎日のたべものに対して、何か満たされていない感じを持っている。なぜなのだろうか? 私の住んでいる地域は、スーパー乱立の地である。毎日安売りのちらしが新聞に入ってくる。小さい頃は、近所のお店で買物をしていたが廃業をしている。 私の家族の食事の食材もスーパーである。どこのスーパーに行っても、だいたいメーカー・商品名が似たりよったりである。 そうすると、同じ物なら安い方へと客は右往左往である。いざ、食事となると「満足感」が味わえない。 私は、粗末な食事であったが、昔の方が「おいしさ」という欲求を満たしてくれていた様な気がする。 1人1人の求めているおいしさが違うのに、商品数・味の数が少ないのではないだろうか。 特に食品が工業食品になってしまい、スーパーで並んでいる数少ない商品ですら、味が似たりよったりでは、 人それぞれの味覚の個性など満たされるものではない。 便利さと安さだけでは自分のおいしさと心の満足は得られない。

 話は変わりますが、私の所にお客様から問い合わせがくる。「どこでみそを売っているのですか?」 私は返事に窮する。山形のスーパーでは、どこも扱っていない。 実は、表示の欄で保存方法に「冷蔵庫保存」と書いてしまった。とうふや納豆や牛乳の様に冷蔵ケースに入れて販売してもらわなければならない。 みそは通常、常温で普通の棚においてあるので販売してもらえない。 「すみません。店には置いていないので、直接小売りをしています。ご住所は、お名前は...」となってしまう。

 お歳暮の季節にもなりました。
 皆様よろしくお願い申し上げます。

とことん話をしました。

更新日:2002.10.01

9月1日(日) (北海道石狩郡新篠津村にて)
仕込みその原材料の減農薬大豆「トヨムスメ」を栽培してくれている井伊さんです。長男のりょうたろう君も2才になった。 農林水産省のガイドライン表示の栽培確認者の藤永さんと畑で出会って、「井伊君は、がんばっているよ」と、ほめていた。 となりの藤永さんの畑は、有機栽培である。井伊さんと酒を飲んで、とことん話をした。

左:私 右:井伊さん

左:私 右:井伊さん

9月2日(月)
朝、JA新篠津を訪問し、農協関係者の皆さんと話をした。 午後より、特みそ・特特みそ・無農薬みそに使っている無農薬大豆を栽培している、旭川から北へ1時間半位 にある上川郡剣淵町に行った。 夕方より栽培グループの皆さんとビールをのみながらジンギスカンでいっぱい話をした。
移動のため時間がかかり、今度は、小麦栽培をしている木村さんと会った。収穫は終わっており、ほんの少しであった。これは無農薬小麦である。 6月に小麦の赤かび病の防除の件で、農薬を使うかどうか連絡が入ったが、小麦そのものの安全性が大事なので、減農薬になっても仕方ないと連絡した。 今年はかろうじて無農薬になったが、赤かび病の問題は毎年でてくるので、必ず無農薬小麦とは無理の様である。

左:木村さん 右:私

左:木村さん 右:私

9月3日(火)
無農薬大豆「トヨコマチ」を作ってくれている佐藤さんと大豆を確認に行った。天候不順にもかかわらず、どうにか?なりそうである。 たまねぎ畑が生育していないのでたずねたところ、「病気のため全滅、あきらめた。農薬を使えば、どうにかなるのだが」と。 この畑に来年は別の無農薬作物を植えるから、農薬は使えないとの事であった。 旭川に移動して、夜、佐藤さんと酒をのんだ。

左:私 右:佐藤さん

左:私 右:佐藤さん

9月5日(木)
天然昆布を探しに知床半島の羅臼に行った。北の国から2002 遺言 の舞台になったところである。漁師のいずみさんと会った。 今年は漁協に全量売り渡しのため、見本だけをもらった。長い付き合いになりそうである。

左:いずみさん 右:私

左:いずみさん 右:私

9月14日(土)
特みそ・特特みその減農薬米「ササニシキ」を栽培してもらっている米の道の会の皆さんと遊佐町の富士屋にて酒をくみかわしながら話し合いをした。 私が「認証をとってくれ」とお願いして、苦労とめんどうをかけてきたが、厳しい世の中を反映して、 みんなが「大変だったが、認証をとっていて良かった」と言ってくれた。

米の道の会の皆さんと

米の道の会の皆さんと

ちょっと、待ってくれ。

更新日:2002.09.01

ある新聞の記事に、揺らぐ食マーケティング.200X年の予兆.今や「あってもなくても平気」...主食の座降りた「ご飯と味噌汁」. 「炊飯器で炊くのも面倒」時代に。という見出しがあった。 内容は、コメを研ぐこと、釜を洗うこと、ご飯が炊けるまで何十分も待つことが面 倒。 お弁当のオカズは、冷凍食品やプチトマト、ウインナーなどであるから、炊飯に30分以上かかるのは合理的でない。(レトルトの中華丼は数分でできる) また同じものだと飽きるから、パン・パスタ・めん類・ピラフ・チャーハン・おにぎり・炊き込みごはん。 ごはんは、チンする無菌米飯類や出来ている加工米飯。 「みそ汁は」というと、栄養のある具材を沢山入れたオカズ型味噌汁と食事の水分としての飲料型味噌汁があり、今や、飲料型味噌汁が増えているが、 それが、水(EX. アルカリイオン水)・茶(EX. 麦茶)・牛乳・ビールなどの飲料と競合してその座を失い始めている。 みそ汁もインスタント時代に。
 これらの内容は事実であると思う。

 電子レンジで「チン」というインスタント化食品時代を迎えようとしているが、私はここで「農薬・化学肥料・添加物・化学調味料・塩分・糖分・家族・ 自然のかかわり・これからの日本の経済力・環境問題・食糧及び自給率の問題・南北問題・エネルギー問題・そして自然の味は」と問おうかと思ったが、 別の角度から考えてみた。

 ごはんもみそ汁も飽きられてしまったのである。
 人はおいしい物を食べたがっている。ごはんやみそ汁は、「今の時代のおいしさ???」を失っているのかもしれない。 (本当は、ごはんそのもの、味噌そのものが最高にうまいたべものだ。) ところで、米にしても、作業効率や収穫量 等の経済性ばかり考えてきて、お客様が米に対してどう考えているのか、何を求めているのか、 そして味噌にしても、みそは日本人には欠かせないから、なくなる事はないだろうと考えていた。 ところが冷凍食品やレトルト食品業界は何十年にわたり、必死になって消費者に受け入れてもらおうと、努力と競争をしてきた。 私が言いたいのは、物づくりに真剣さ、必死さが足りなかったのではないだろうか。そのツケがきているのだと思う。 そして次に消費者の皆さんが食に対して、真剣にそして必死に対峙していかないと、「とんでもないシッペ返しがくるのではないだろうか」と心配である。 ちょっと待ってくれ! 何のために食があるんだ! 何のために毎日食べているんだ!

スローフード

更新日:2002.08.01

7月6日(土)午前9時より、協同の杜(JA山形研修所)にて山形スローフード協会・会員研修「スローフード運動を、どう進めていくか」があった。 去年7月に発足し、今年3月イタリアの「スローフードインターナショナル」に加盟した日本で5番目の支部である。 会員は57名で、農業関係者・醸造関係者・教育関係者・料理関係者・商店主・主婦等である。 「郷土の食文化を掘り起こし、大切さを後世に伝えていこう」としている。

 スローフードは、1986年イタリア北部のブラという村で、文化人(イタリアのジャーナリスト、カルロ・ペトリーニ)等で始まった。 やがてNPO運動で、 [1]消滅の恐れのある伝統的な食材や料理や質の良い食品、ワインを守る [2]良質の食材を提供する小規模生産者を守る [3]子供達を含め消費者の味の教育を進める という運動になった。 事の発端は、1986年ローマの名所スペイン広場でハンバーガーショップが開店した事であった。 現在世界で会員が7万6千人、日本では5支部900人である。

 ファーストフードが食事や味覚の画一化をもたらしている現在、各地に残る食文化を大切にし、くらしや生き方を考え直していこうとする運動である。 今、食が崩壊しようとしている時に、非常に大事な運動であり、私の仕事、特に仕込味噌(以前は、各家庭で自家製みそを造っていた)は、 まさに日本のスローフードの代表的な食材の1つであると思っている。
 このテーマについては、折にふれて、これからも書いていきたいと思う。


無題

更新日:2002.07.01

6月21日 「山形県がやってきた」

 私のみそ造りについて話を聞きたいと山形県村山総合支庁農業経済部と村山農業改良普及センターのお二人の方が訪ねてこられた。 仕事場で、無農薬大豆や無農薬米、深層水の塩等、私のみその原料の説明をした。みそ造りの作業手順や無添加手造りの話をした。 自宅にて、減農薬・無農薬・有機栽培や農業全般そして機能性食品について話をした。 知事をはじめとして、山形県あげて、地産地消に、一生けんめいであるという話をお伺いした。

6月27日 「北海道に霜がふった」

 「6月25日、北海道に霜が降った。」というニュースをテレビで見た。契約栽培大豆が心配で佐藤さんに電話した。 そう言えば、先月もテレビで「氷(ひょう)が降った」というニュースで電話をしたばかりである。 大雪山には雪がふり、家では毎日ストーブの生活だそうである。 無農薬大豆は無事であったが、無農薬の小豆(あずき)は、霜の害を受け、栽培をあきらめるかどうかという状態で 佐藤さんは「ああ、がっかりした。」と電話口で言った。この無農薬のあずきは、金沢の和菓子屋さんにいくものである。 地域の仲間と離れて点在する仲間でセーフティーネットを作っている。お客様には迷惑をかけられないとの事である。 いつ、私のみその原料である無農薬大豆が全滅するかわからない。 私も二重にセーフティーネットを作っているが、100%の保証はどこにもない。
 7月より無農薬みその大豆が無農薬減化学肥料から、無農薬無化学肥料にかわり、ラベルやパンフレットを変更中である。 平成11年に無農薬無化学肥料栽培の契約をし、平成12年春、種まきをし、晩秋=初冬に収穫した大豆が、平成14年7月 やっとみそになった。


こだわり

更新日:2002.06.01

たまたま自分が人間として生まれた限り、誰でも人間としての自分の存在を確認して生きていたいと思うものである。物づくりも同じである。私のみそ造りの原材料である大豆や米そして塩もこだわりの素材である。大豆では北海道の佐藤さん、井伊さん。米では青森の木村さん、山形の米の道の会の皆さん。それぞれが自分の存在をかけて、私に大豆や米を作ってくれている。「お前のために作っているんだ。」この言葉は、私のみそ造りの最中にも、大豆や米が直接語りかけてくる。塩にしても、「伯方の塩」には塩田復活の大衆運動の歴史があり、伊豆大島の「島の塩」深層水の塩「ハマネ」にも伊豆大島の昔からの塩づくりの歴史があり、世界で初めて深層水の塩をつくりあげた地なのである。それぞれにすさまじい思いがあり、ながい時間が込められている。大豆・米・塩……みそ造りのただの材料ではない。様々な人たちのこだわり、思いが私のみそ造りを動かしていく。これらの原材料があるから、私の無添加・手造りのみそ造りが生かされていくのである。

 私のホームページを見た東京の女性の方から、先月みその注文がきた。昔たべたおばあちゃんのなつかしい手造りみそをたべたい。いろんなみそをさがしてたべているが、同じ様なみそにめぐりあえない。早速みそをお送りした。返事の電話がきた。大変おいしかった。でも、ちょっと私がさがしているみそとは違う様だ。でも、またたのむ事があるかもしれないのでよろしくお願いしますとの事であった。このお客様は、自分のルーツをさがす様に、あのおばあちゃんの手造りのみその味を求めて、また旅をするのであろう。

 私のお客様には、こだわりの人が多い。「みそだけは、おいしい物をたべたい。」「おいしいみそと米があれば、生きていける。」こだわりの連鎖と思いの伝達。私は皆様に、こだわりと思いを伝えられるみそを造っていきたいと思う。

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